原酒となる醇(非売品)は掛米を
ササニシキ(精米歩合70%)にて
造っておます。
 

酒米の開発
 天正10年(1582年)『多聞院日記』によれば奈良で十石入り仕込み桶が開発され、これによって地方においても酒の大量生産が可能になりました。
 このころ以前は、新酒よりも、古酒が圧倒的に高級とされ値段も高かった。古酒は茶色がかって、現代の紹興酒のように醤油のような香りがあったと推定されます。しかし酒の大量生産が可能になると、酒を輸送するのに、壺や甕ではなく樽が主流になっていきました。古酒は密閉されてこそ酒質が保たれ、壺や甕はそのために工夫されて発達してきましたが、樽では密閉が効かないため古酒が流通しにくくなっていき、人々は新酒をしだいに飲むようになっていきました。
 江戸時代になり不作や飢饉の時にそなえて、毎年の収穫から一定量の米を備蓄するのが通例でしたが、不作や飢饉がなければ備蓄米はそのまま古くなって無駄になるリスクがつきまとい、また、大豊作の年には米が余って米価が暴落するというリスクもあった。そこで備蓄米や余剰米を酒蔵に回して酒を造っていました。米の使途の比重として、酒造りが大きくなってきた地方では、食用でなく酒造りに向いている米の探究が盛んに行なわれるようになった。明治中期以降酒米の開発が意欲的に行われ今日の基礎を作りました。
 
酒米とは
 日本酒は、米のでんぷんを麹菌の力で糖に加工しながら、酵母が糖をアルコールに変えます。2種類の微生物反応を一緒にさせる、高度な技術が必要です。麹菌がうまく働いてくれないと美味しくできません。大粒で、たんぱく質含有量が低く、だまにならずに、中心部に「心白」という白い部分がある品種が酒米として選ばれ改良が加えられてきました。。大粒が好まれるのは、精米の時に表面を大きく削り取るからです。大吟醸では50%も落とします。
 
付加価値が大きく削るために改良された酒造好適米は価格も非常に高く、食べて美味しいお米ではありません。米余りの現代においてもう一度原点に立ち返って、熟成によって雑味も旨味に変え、あかぬけした上質な世界に誇れる酒を提案します。
 
なぜササニシキで造るのか
 歴史や過程からみて、本来日本人が食べてきたお米は今人気のある甘くてモチモチしたお米ではなく、おそらく甘すぎずあっさりとしたササニシキのようなうるち米系のお米だったと思われ、ササニシキが本来のジャポニカ米の性質に近いお米ではないかと考えられます。一汁一菜が食事の基本だった頃、ご飯が主食であり、あっさりとした粘り気の少ないうるち米系のお米が和食に合っていたのでしょう。身体に無理のない優しいお米だったのです。コシヒカリはふっくらとした食感やモチモチ感が魅力の【もち米系】のお米です。これは赤飯やおこわによく似ています。食べ過ぎると胃にもたれたり、毎日食べると飽きがきたり、身体にかなり負担がかかるのではないかと思われます。だからこそ特別な日(ハレの日)の食べ物だったのでしょう。
 
ササニシキは軟質米で酒造好適米より酒造りは難しい面もありますが、お米の特徴が酒に現れ、ふくらみがあり、旨味のあるお酒に仕上がります。